アメリカ留学(岡敏彦)」カテゴリーアーカイブ

ジョーウィダー氏との出会い、旧ソ連視察/岡敏彦のアメリカ留学 vol.8など

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岡敏彦です。

ジョーウィダー氏と記念撮影です。写真右端
筋力トレーニングの神ともいえる存在ですよね。
トレーニング界では知らない人はいないはずです。

アメリカのNSCA総会での一コマ。

NSCAとは、
National Strength and Conditioning Association
の略です。

主にスポーツ選手の筋力強化の研究会です。
日本では、1991年にNACAジャパンが設立されましたが
当時は、海外に行って情報を得ていました。

私がアメリカ留学していたころは
本当に恵まれていました。

今のトレーニング方法のパイオニアとも言える
素晴らしい先輩方々と
お会いすることができましたから。
■1984年10月

 

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旧ソ連の「赤の広場」
モスクワオリンピック施設視察(日ソオリンピック友交協会主催)
のときの写真です。USSRを訪れました。

私がこの地を訪れたのは、
まだ冷戦、鉄のカーテンの時代です。
資本主義、社会主義国が競争していたときです。

アメリカにいるとき以上に
とても緊張していたことを思い出します。

■1982年8月

 

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所変わって、日本です。
帰国して、いよいよ留学の成果を発揮するときです。
このときの私は、意気揚々としていました。

よ〜し、日本で頑張るぞ!
そんな気持ちでした。

帰国後、私は大学で教鞭をとることができました。
近畿大学です。現在(2014年)でも現役で続いています。
ですから、大学の講師をして30年が経とうとしています。

本当に早いです。

写真は、近畿大学非常勤講師 体育実技
バレーボール、レクサーション、エアロビクス、トレーニング
2回生を担当しました。 
■1985年~

スポーツコネクションでフィットネスクラブのビジネスを学ぶ/岡敏彦のアメリカ留学 vol.7

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大阪で健康体力づくりの
サポートをしている
ヘルスアンドフィットネスの岡敏彦です。

有名な「ゴールドジム」の前で写真を撮っています。
プロボディビルダーの
アンドレア・カーリングです。

非常にたくましい身体つきです。
彼は毎日、このゴールドジムで
トレーニングに励んでいました。

私もトレーニングに励んでおり
ゴールドジムで友達になったのです。

彼は、プロテインで有名なウイダー社の
創設者 ジョーウィダー氏の門下生。
そして、10年ほど前には日本に留学。

桃山大学(大阪)で柔道留学していたそうです。
同じ大阪で話しが盛り上がりました。
■1983年10月

 

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この写真は、私がお世話になった
スポーツコネクションです。(スポーツクラブ)
ウエストロサンゼルスの住宅地にあります。

左側のガラス部分の2階がトレーニングジム。

このスポーツコネクションでも
フィットネスクラブのビジネスのあり方を教わりました。
そのときのことが今に活かされています。

1階には、フロント、サロン、ジューズバーがあります。
ラケットボールコートもあり。
■1983年5月

 

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ケン・ウォーラー氏です。
パシフィックホテルの地下にある
小さなジムです。

マシンの手入れが行く届いていることが印象的でした。
アメリカでも清潔さを大切にしているクラブがあるのかぁ〜
と感心したものです。

■1984年2月

アスレティックトレーナーの未来を読む、NFL選手の凄さ/岡敏彦のアメリカ留学 vol.6

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大阪で健康体力づくりの
サポートをしている
ヘルスアンドフィットネスの岡敏彦です。

上の写真は、今後の日本国内のスポーツ界における
アスレティックトレーナーにとって
大変重要なことを物語っています。

 ★アスレティックトレーナーとは
  主にスポーツ選手のケガをケア、リハビリする
  トレーナーのこと

それは何かと言いますと
現場のアスレティックトレーナーは
ほぼ女性であることです。

女性のアスレティックトレーナーは
女性選手(アスリート)をしっかりとケアする
ことができます。

単に性別が違うだけでなく
女性ならではの悩みを聞いてあげることで
より良い信頼関係が築くことができます。

ここが大変重要で、
男性のアスレティックトレーナーの
女性選手のケアには、おのずと限界があります。

ですから、私が受け持っている
大学(近畿大学)や専門学校では
生徒の皆さんにも伝えています。

 女性のアスレティックトレーナーが
 幅広く活躍する日が日本にもやってくると。
 
 ※女性のトレーナーさん、ご活躍を期待しています!
 

写真ですが、
女性の選手が座っている台は
ちょうど足首が出る長さになっています。

この奥には、マッサージルーム
サイベックスマシン、ワールプールなどがあります。
ちなみに女性サッカーチームメンバー。  ■1983年9月

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アメリカンフットボールのプロリーグ
NFL「アリゾナラングラーズ」の練習風景です。
オフェンスラインのブロッキング。

プロチームの練習は
午前、午後の各3時間となっています。
日曜日はオフ。   

アメリカンフットボールのプロともなれば
体型だけでなく、動きが全く違います。

大きい身体なのに
めちゃくちゃ動きが素早い。
このスポーツは、アメリカの独壇場が続くことでしょう。
■1984年2月

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この写真は私です。
USC(南カルフォルニア大学 ロサンゼルス)の中央図書館での
一コマです。

スポーツトレーニングの専門書を見ています。
文献数は1,000以下ですが
専門雑誌、旧ソ連の文献を揃えていました。

エクササイズ&スポーツフェシリティ
を見ています。     

■1983年8月

最良の腹筋トレーニングマシン(アブドミナル)、ランニング/岡敏彦のアメリカ留学 vol.5

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大阪で健康体力づくりの
サポートをしている
ヘルスアンドフィットネスの岡敏彦です。

トレーニングマシン開発の神様
アーサージョーンズが開発した
ノーティラスマシン 腹筋トレーニングマシンです。
※アブドミナルマシン

腕の力を要しませんので
腹筋だけを集中的にトレーニングできることが
最大の特徴です。

このノーティラスマシンを超える
腹筋トレーニングマシンは
未だに存在しません。

筋肉の解剖、関節の角度、筋肉の収縮など
数々のトレーニングの要素を考慮した
結果だからだと思います。

本当に良いものを追求していた時代ともいえますね。

■1983年10月

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ジムデニー氏とランニングしている風景です。
ハワイ、アラモアナBLVD近くのアトキンソンDR。

右側はYMCAです。
当時1泊14ドルで宿泊できました。
ジムデニー氏は私の結婚式にも出席してくれました。  

■1984年3月

トレーニングマシンの科学を学ぶ、出会い/岡敏彦のアメリカ留学 vol.4 

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大阪で健康体力づくりの
サポートをしている
ヘルスアンドフィットネスの岡敏彦です。

アメリカ留学中には、憧れのあの人!
という素晴らしい方々と出会うことができました。

憧れの人とは、
現在のトレーニングの科学の根本を作った
科学者であったり、選手、マシン開発者などです。

上の写真は、1964年の東京オリンピックで
出場経験を持つ(円盤投げ、イスラエル代表)
マニエル博士です。

彼も私同様、アメリカ留学をし
数々のトレーニングの科学的研究を
行っていました。

とても尊敬できる人です。  ■1983年9月

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次に紹介するのは、80年代に一世を風靡した
筋力トレーニングマシンの「ユニバーサル社」の
元セールスマネージャー。

そして、トレーニング研究所の社長をしていた
ジョージ・オットー氏です。
前述のマニエル博士が、紹介をしてくれました。 

私自身もトレーニングマシンの開発に携わり
商品化されて、市販されています。
そんなこともできたのも、当時の出会いのお陰です。

恩人ともいえる方々です。
そのときのことは、鮮明に覚えています。

■1983年9月

アメリカンフットボール選手指導、世界チャンピオン アメリカ留学 vol.3

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大阪で健康体力づくりの
サポートをしている
ヘルスアンドフィットネスの岡敏彦です。

1983年にカルフォルニア州の
UCLAに留学しておりました。

トレーニング理論を学ぶと同時に
スポーツ選手への指導も行っていました。
写真は、アメリカンフットボール選手です。

73番は ディフェンシングラインのスティーブ。
92番は オフェンシイブラインの トム。

私の身体は大きくありませんので
アメリカンフットボールの選手には
いつも会話中、見下ろされている状態でした。

端から見ていると
どちちらが指導者なのか?
と疑問に思ってしまうことでしょう。

とにかくアメリカの選手は、
みんな大きいので、何するのにも
余分に体力を使ってしまう有様です。

貴重な経験でした。

■1983年8月

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私と一緒にこちらの女性は、
当時の女子ボディビル世界チャンピオン
カーラ・ダンロップ選手です。(当時28歳)

大変興味深いポージングをします。
コンテストがあった
ディズニーランドホテルにて撮影しました。

■1983年8月

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こちらは再び、カルフォルニア州のUCLA(大学)
一般学生のためのトレーニングルームです。

一般学生とは、
日本でいう体育学部、スポーツの部活に属さない
すべての学生のことをいいます。

しかし、その一般学生でも
正しい方法でトレーニングをしていたことには
大変驚きました。

今の日本でも考えらません。
しかも、このトレーニングルームには
指導者がいないのです。

みんな、自主トレーニングにも関わらずです。
レベルの高さに驚きました。
マシンは、ユニバーサルです。

■1983年8月

岡敏彦のフィットネス・スポーツ留学 体験記(トレーニング研究、スポーツクラブ、大学)

 第10回 国内スポーツクラブにおけるフィットネストレーナー研修

 第9回 日本でフィットネスクラブを立ち上げる JSSハマセン 人材育成について

 第8回 ジョーウィダー氏との出会い、旧ソ連視察/岡敏彦のアメリカ留学 vol.8など

 第7回 アメリカ編「フィットネスクラブのビジネスを学ぶ、日本留学生との出会い」

 第6回 アメリカ編「アスレティックトレーナーの未来を読む、NFL選手の凄さ」

 第5回 アメリカ編「最良の腹筋トレーニングマシン、ランニング」 vol.5

 第4回 アメリカ編「トレーニングマシンの科学を学ぶ、出会い」

 第3回 アメリカ編「アメリカンフットボール選手指導、世界チャンピオン」 1983年

 第2回 アメリカ編「アメフト指導、UCLA、ノーチラスマシン」1983〜84年

 第1回 アメリカ編「UCLA(大学)、ノーチラスマシン」1983〜84年

UCLA、NFL(アメフト)、ノーチラスマシン アメリカ留学編 vol.2

UCLA

大阪のヘルスアンドフィットネスの
岡敏彦です。

今回紹介するのは、アメリカにて
スポーツ選手向けのトレーニング法を
学んでいたときのものです。
※主にストレングストレーニング

上の写真は、数多くのトップアスリートを生み出している
UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)
のアスリート専用のトレーニングルームでの風景です。

ここでは、スポーツ選手のパワーの概念を活かした
トレーニングができます。

向かって右側は筋力トレーニングコーチの
ドン・スワボンコーチ
左側はマークコーチ

そして、真ん中は岡敏彦です。   ■1983年8月撮影

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アメリカではNFL(アメリカンフットボール)が
大変な人気で、国技のようなものになっています。
アメリカンフットボールのプロ選手のトレーニング風景です。

アリゾナラングラーズというプロフットボールチーム
パワーラックでのベンチプレスをしています。
重量は150KGです。

私も、UCLAにて
アメリカンフットボールの選手を
指導することになります。

大学時代にアメフトをしていたこともあり
親しみのあるスポーツです。

しかし、本場アメリカの選手は
とにかく身体が大きいです。
いつも選手に見下ろされながら、指導をしていました。

■1984年2月撮影

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筋力トレーニング伝説の
ノーチラス・マシンです。

プルオーバーとラットプルダウンの
コンパウンドになっているマシンです。
広背筋に非常に効果的なマシンでしょう。

※コンパウンドセット
1つの部位に対して2種目のトレーニングをおこなうこと

私の体験記には、
ノーチラスマシンはよく登場します。

その理由は、ノーチラスマシンの
カム軸の理論に代表される
トレーニングマシンの原点があるからです。

さて、紹介したプルオーバーと
ラットプルダウンのコンパウンドマシンです。

マシンのサイズが大きいために
日本には普及しにくいという現実がありました。
本当に素晴らしいマシンです。

■1983年10月撮影

アメリカ留学「UCLA、ノーチラスマシン」1983〜84年/岡敏彦

ノーチラスマシン(プルーオーバー)

大阪のヘルスアンドフィットネス
岡敏彦です。

私は30才前後に何度か
フィットネス&スポーツの研究のために
アメリカ留学しておりました。

何回かに分けて、
現在でも通じるトレーニング法や
トレーニングの原点を振り返りたいと思います。

留学のときには、
当時のトレーニングマシンの研究をしたり
スポーツ選手のトレーニング法を学んだり
と大変有意義な時期を過ごしてました。

上の写真は、ノーチラスというマシンで
上腕三頭筋(腕のウラ)を鍛えるマシンです。
今では見ることができない貴重なマシンです。

このノーチラスというマシンは
アーサーージョーンズという偉人が作りました。

あらゆるメカニズムを解明し、
筋肉に効かせるマシン理論を打ち立て
効果的なマシンを開発。

それがノーチラスのマシンです。
未だにこのマシンを超えられません。
本当に素晴らしいです。 ■1983年10月撮影

 

水圧マシーン

こちらは、
水の負荷を利用した「ブライスター」というマシンです。
日本では見かけません。

日本ではサイズが大きい(場所をとる)
技術の高い指導力が求められることから
日本には入ってきませんでした。

■1984年2月撮影

 

UCLAヘルスクラブ

こちらは、USC(大学)の正門前にある
ヘルスクラブです。
学生を対象にしたマシンが多く置かれています。

大学のヘルスクラブは、
市民にも開放されています。
ですから、利用者は大学生だけではありません。

日本で言えば、
公共の体育館のトレーニングセンターが
似ています。

■1983年7月